日本の企業文化から見た日本人の集団意識

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2021年10月25日01:27:52 评论

摘    要

 

作为日本农耕文化的基础的稻作文化对日本民族性格的形成以及日本人的精神有很巨大的影响。而集团意识,作为一个典型的日本人民的性格特征,对日本人的行为有着显著的影响。一般而言,文化基础和典型的国民性格往往有着密不可分的关系。因此,拙论取稻作文化这一个角度,来研究日本的集团意识。

相比个人,日本人喜欢将集团放在优先的位置,并和集团的步调保持一致。这种倾向在公司中尤为常见。公司职员们为了完成集团的目标,相互合作、尽心尽力。如果追溯这种集团意识的起源话,可以追寻到古代的村落社会。本稿主要以日本企业文化为中心来考察日本人的集团意识。

 

关键字 稻作文化  集团意识  企业文化

 

   旨:

 

稲作文化は、日本農耕文化の基礎として、日本人の精神、日本国民性の形成に深く影響を与えた。集団意識は、日本国民性格の典型的な特徴として、日本人の行動に大きな影響がある。文化の基礎と典型的な国民性は密接なかかわりがあるに違いない。そのため、小論は稲作文化をひとつの視点として、日本の集団意識を考察したい。

日本人は個人より集団を優先し、所属集団と同調するのを好む。特に、会社にはその傾向がよく見られる。社員は集団目標を達成するために、一致団結して力を尽くす。若しこの集団意識の起源に溯れば、大昔の村落社会に辿り着くことができる。本稿は日本の企業文化を中心に、日本人の集団意識を考察するものである。

 

キーワード稲作文化、集団意識、企業文化

 

 

目  次

1. はじめに…………………………………………………………………………………… 1

2. 集団意識の成立の要因……………………………………………………………… 1

2.1 生存条件…………………………………………………………………………………………………………. 1

2.2民族同質性…………………………………………………………………………………………………………. 3

2.3「ムラ」の集団意識からの影響…………………………………………………………………………. 4

2.3.1「ムラ」を中心とした集団生活の発生……………………………………………………….. 4

2.3.2 「ムラ」における日本集団の一体感………………………………………………………… 5

2.4稲作文化から集団意識の形成への影響……………………………………………………………… 5

3.会社生活における集団の一体感…………………………………………….. 6

3.1 「内」と「外」………………………………………………………………………………………………. 7

3.2   企業団体の人間関係―――会社における集団の「和」……………………………….. 7

4.企業経営における集団の現われ…………………………………………….. 8

4.1  集団主義の会社理念…………………………………………………………………….. 9

4.2  社員の団体観念から見た集団意識…………………………………………………… 9

5.  まとめ……………………………………………………………………………………. 11

謝辞……………………………………………………………………………………………….. 12

参考文献……………………………………………………………………………………….. 13

 

日本の企業文化から見た日本人の集団意識

 

1.はじめに

日本農耕文化の基礎として、日本人の精神、日本国民性の形成に深く影響を与えた稲作文化は、日本人の行動に大きな影響を与えている集団意識と一体どのような関係があるのだろうか。また、一般的によく言われる集団意識は、どのように、表現されているのか。以上の二点について、関連文献を調べ、纏めた。第二次世界大戦の敗戦で、壊滅的な打撃を受けた日本は、僅か10年ほどで、驚異的な復興を果たした。さらに、1968年にはGNP世界第2位に躍進し、繁栄の時代を迎えている。アジアで最初の先進国入りを果たした日本の成功要因が何か、日本人がどの様な特性をもっているか、というのは世界の注目を浴びている。それについて、多くの日本人論は、日本人の集団意識に焦点を当てている。

稲作文化は、日本人の集団主義の形成に大きな影響を与えたと言える。集団意識の成立は、日本の歴史的な背景と関係がある。はるか弥生時代に始まる稲作文化が集団意識に影響があると言える。

2.  集団意識の成立の要因

2.1  生存条件

 旧石器時代、日本列島の人々は、まだ一定の場所に住居を定めた暮らしをしていなかった。食べ物を探すために、家族を単位として移動する。「岩宿遺跡」により縄文時代の前の旧石器時代の存在が確認された。縄文時代は旧石器時代に続く時代である。縄文人は、「竪穴住居」で生活し、狩猟、採集を中心に生きていた。その頃の遺跡から、マグロ、鯨、猪、栗などを食べていたことがわかる。その様にして、縄文人は自然の食物連鎖の中で暮らしていた。弥生時代、米作りの技術が大陸から伝えられ、稲作農耕が始まった。そして、米が食生活の基盤となった。移住生活が終わり、水田の周りに定住する生活が始まった。かくて生業活動の中心は狩猟から稲作農耕へと変化した[1]。さらに稲作農耕に必要な太陽と水への信仰も育まれた。こうして単に食生活の変化のみではなく、定住生活、階級分化、民衆信仰など様々な面での変化をもたらした。これは日本歴史上の重要な変革である。稲作農耕は弥生時代の特徴の一つである。かつて日本は、豊葦原の瑞穂国と呼ばれた。瑞穂は、みずみずしい稲の穂を意味する。この言語表現にも、稲作の大切さを見ることができる。稲作農耕によって人々が土地に根付いている。獲物を探して移動していた人々は、もう農地を離れなくなり、一つの場所に住居を定めて暮らすようになった。その結果、部落としての「ムラ」が発生した。「ムラ」と言えば、「村」と同じだと考える人がいる。通常、漢字で書かれた「村」は行政村を意味する。ところが、ここにカタカナで書かれた「ムラ」は、部落を意味する。一般に「部落」、「村落」と呼ばれる。

また、言語の視点から見ると、「群」、「簇」、「叢」なども「ムラ」と言われる。即ち、「ムラ」は「集まり」を意味し、生活共同体を指す。言い換えれば、「ムラ」は地域のコミュニテイーである。かくて定住生活が始まり、ムラが発生したのである。人々は稲作の生産効率を向上させるために、集団生活を結成して農作業を行うようになる。周知のように、水は稲作農耕に不可欠な条件である。日本で発見された最初の水田遺跡は「菜畑遺跡」である。この遺跡では水田跡、炭化米などが発見された。日本は盆地が多く水路が複雑である。水路を調節するために、村人全体が協力しなければならない。また豊作のためには、灌漑用水路を構築しなければならない。しかし、個人の力だけで、その工事を完成させるのは無理である。水路を引くためには、大勢の人の協力が必要である。その場合、一人が勝手なことをすれば、ムラ全体に悪い影響を与える可能性がある。これにより、村人は連帯的協力という性格を持っている。欧州の牧畜文化、アメリカの農場文化と違って、日本の稲作は、簡素な工具を使い、狭い土地で労作する。梅雨の季節に入ると、降り続く雨期になる。田植えは、雨期に行わなければならない。一方、台風が来る前に、稲刈りは終えなければならない。そんなに短い期間に農作業を終えるためには、言うまでもなく、村人全体の協力が必要である。村人たちが協力しなければ、生産活動はできない。つまり、その集団生活の発生には、稲作農耕が重要な役割を果たしてきた。日本列島の文化変革においては、縄文時代から弥生時代までの変革が最も注目を浴びた。その時期、日本人は狩猟、採集などの自給自足経済から農耕の産業経済へと変化した[2]。この変革に、もっとも重要だったのは稲作農耕なのである。稲作は生業の中心となると同時に、村人たちの仲間意識も次第に育まれていったのである。現在でも、日本の皇居には水田がまだ残っている。天皇はそこで稲を育てている。御田植えだけでなく、稲刈りと播種も行われる。このように稲作を通じて庶民から天皇に至るまで、日本人全体は強く結びついている。もちろん、単一民族の同類意識も育まれる。こうしてみると、稲作は集団意識の形成に大きな役割を果たしたといってもよい。

2.2  民族同質性

 仲間たちと協力して、できるだけ他人に配慮し、団結があって自分の利益を図る。仲間と敵対して、自分の利益を図るということはできない。特に外部と接触する時、内部と外部の論争になると、内部の論争、矛盾はほうっておくことができ、一致協力して外部の問題に対処する。集団の利益を顧みないで 、個人の欲求を満たしたい人、自己を強調するという人は社会に批判される。それが原因で日本人は集団意識、規律性の強い、秩序を守る民族に形成された。団結心と秩序性を守る日本人の背後にあるのは日本の集団意識である。「日本の縦社会」の中で、日本人は社会、国、すべての物事を集団化し、それらの中の序列に従う。自分がいる集団の位置に敏感だ。集団の等級地位を守る彼らにとって、ルールを守る、上司に従うことは大事なことだ。みんなも熟知しているように集団意識から生まれるのは「強いものを恐れ、弱いものを虐める」という心理だ。また派生するのは日本人の「外」と「内」。日本社会の全員はすべてある特定の集団に属し、そして共に協力するパートナー関係を通じてそれぞれの集団に対して相応の義務と責任を果たす。一方、集団以外の人あるいは物事に対しては関心がなく、冷たい疎遠な態度を取る。

日常生活においても、日本人は集団主義の意識が強く、第二次世界大戦における玉砕や集団自決の悲劇、一億一心のスローガンがたくさんあった。「出る杭は打たれる」、「きじも鳴かずば撃たれまい」という諺は日本人の処生術を端的に表しているし、集団に異を唱えたり、背を向けた者は「村八分」と言う処罰があった。日本の社会は個我の主張より、集団あっての個、個は集団にあって生かされると了解してきたと言える。そういう意味で、多くの日本人はいつも「他人の目」を意識しながら行動する。集団主義の成立は日本の歴史的背景と無縁ではない。弥生時代に始まる稲作文化の影響があり、農村では今日も田植えや稲刈り期には近隣同士が助け合い、共同作業を行う習慣が一部に残っている。狩猟と異なり、そこでは集団作業と共同秩序が必要であり、生活共同体である。狭い国土に多くの人口がいるということも集団主義の有力な一因だろう。朝晩の通勤電車の殺人的なラッシュは外国人がしばしば瞠目するところだが、今日の日本人は甘受せざるを得ないし、そこから集団の調和という社会生活の知恵を身につけるのである[3]。

 

2.3 「ムラ」の集団意識からの影響

2.3.1 「ムラ」を中心とした集団生活の発生

ムラは道切りによって、ソトと分けられている地域社会である。道切りとは、悪霊の侵入を防ぐために、村境に注連を張ることである。これにより、村には一定の地域がなくてはならない。村の境は入口にあたる。原田敏明によると、その多くの入口のうちでも、特に重視されたのは、それによって外と相通じ相対抗するような入口が特に重要なものということになる。かくて村には必ずといってよい程に一ヶ所の入口があり、かつそれが村の集団生活には第一の、場合によっては唯一とさえ意識され、その場所が村においても特別な場所とされる。すなわち、村の境はそれによって、ソトに対して区別をつけるところである。然しながら、村境は単に地図上の境界ではなく、宗教的な意味をも持っている。境の内が神聖な場所で、村の鎮守がその土地を守る。また静岡、長野あたりでは、境に民間信仰の道祖神が立てられる。道祖神は邪霊の侵入を防ぎ、行路の安全を守る。一方、村内に対して、境の外は、一般に不浄なところと思われる。悪霊や疫病神などがその地域に住んでいると考えられる。その為、前述した注連縄を張る風俗が生まれた。然もムラは自らの境界に神を祀る。その神は境界の神であると同時に、部落の神でもある。また対立する隣の部落に対して、そこに塔碑などが設けられる。その様に、村人はムラの境界を強く意識する。かくて村境のソトはウチに対して対抗するもの、禍を及ぼすものという関係におかれている。同時に、閉鎖的で内向的な地域社会が構築される。自己が属する領域を「ウチ」と、その領域外を「ソト」とされる。その結果、「ウチ」と「ソト」の間に溝ができる。通常、同じムラに属するものが身内とされ、親しい態度をとる。相手がよそ者ならば、通常冷たい態度をとる。その様に、ムラは明確な集団として閉鎖性をもっている。

 

2.3.2 「ムラ」における日本集団の一体感

「ウチ」は仲間集団であるが、「ソト」は一種の別世界と思われる。仲間同士は相互に連帯感を持っている。いたずらをした子に対して、たとえ血縁者でなくても好意をもって叱る。それがいたずらっ子を身内と同一視しているというわけである。ところが、「ウチ」の範囲を一歩出ると、自分と関係がないよそ者とされる。よそ者がどんなに苦しもうが、全然御構い無しである。すなわち、村は対外的には閉鎖的な集団である。村人は共同体にきつく縛られ、村境の内で生活を営んでいる。当然、村人たちの生活範囲も狭い。独立の個人として他者と自由に交流する場所もない。それについて、中根千枝は次のように述べている。「実際、ムラ全体の成員が家とかクミの集団と関係なく、個人としてムラ人たちと自由に交わるという場も日本の農村にはありません。多くの社会では、村人としての社交の場をもっているばあいがすくなくありません。ラテン系の国々の村には、かならず共通の広場(ピアッア)があり、夕方など村の人々がそこに自由にでてきてお互いに話を楽しむ習慣があります。また、中近東によくみられるのは、村のコーヒーハウスです。ひまがあると男たちは、そこによって話し合いを楽しみます。」こうしてみると、村人は共同体に縛り付けられている。そういうわけで、村人は共同体への帰属感が強い。特に、お盆など年中行事の際、その帰属感がよくあらわれる。村人にとって、生きていた時の集団への所属性は、死んでも変わらない。あるいは、死後の世界が集団の延長だといってもよい。

2.4  稲作文化が集団意識の形成への影響

稲作文化は、日本人の集団主義の形成に大きな影響を与えた。集団意識の成立は、日本の歴史的な背景と無縁ではない。はるか弥生時代に始まる稲作文化が集団意識に影響があると言える。その時代は、生産性が低く、稲刈り期が短いので、合作しなければ、稲刈り期に終わらなかったが、稲刈り期には近隣どうしが助け合い、共同作業を行う習慣がある。これが、最初の集団意識である。農村には今日もなお、田植えや稲刈り期のそのような共同作業が残っている。狩猟文化と異なり、生活共同体なのである。

日本は、稲作文化圏に属していて、歴代の日本人は高温多湿な環境の中で共同作業の方式で稲作を栽培してきた。稲作文化労働について次のように述べられている。稲作労働は、「日本人の人間としてのあり方や日本語や日本文化は、游牧、畜牧から出てきた西欧文化と今日では表面のところは同じ様になって来た様でも、大いに相違があります。」稲の耕作は、毎年同一の土地で行われる。従って田の位置や用水施設は固定されることになる。稲の耕作には、それに必要な潅漑設備から苗代、田植え、収穀、脱穀などにいたる共同その作業が必要であり、その為家族を単位として横に結合する村落共同生活が営まれ、人々の協力、団結や調和の精神が尊重される。一つの水路によって、村の住民の運命が緊密に一体化され、生死一体化される。年始に、一同に揃い、五穀の農作を神々に祈念し、水が枯れれば、一連の田を作っている家々が心を一つにして降雨を願い、水の具合が順調で豊作となれば、同じ流れに属する家々が共にその豊作を喜び、神に感謝する祭を行う。

共同管理の施設や共同作業の多い地域社会では、自己中心的な活動をすれば、全体に迷惑が及ぶことになる。こうして、個人よりも集団の利益を常に優先させる仲間意識、つまり、今日の集団主義が形成されるようになった。今日でもこうした集団行動様式は企業や団体などに受け继がれていて、他人との調和を重んじることが日本特有の集団として見なされている。

 



[1] 章志光.《社会心理学》[M].北京:人民教育出版社,1996.P98

 

[2] 李雪梅.《日本 日本人 日本文化》[M].杭州:浙江大学出版社,2005.P65

[3] 劉洪浪.《日本概要》[M].広州:科学普及出版社広州支店,1986.P23

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  • 本文由 发表于 2021年10月25日01:27:52
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